MOVE
サラリーマンから日本代表へ!夢をつかんだ南米のストリート魂

MORIOKA KAORU サラリーマンから日本代表へ!夢をつかんだ南米のストリート魂
2017/ 09/13

サラリーマンから日本代表へ!夢をつかんだ南米のストリート魂

森岡 薫

サラリーマンから日本代表へ!夢をつかんだ南米のストリート魂

サッカーと比べて少ない人数でも気軽に楽しめるスポーツであるフットサル。そんなフットサル界で誰もがアイコンとしてあげる一人の選手がいる。森岡薫。爆発的な瞬発力と圧倒的なフィジカル、確かなテクニック、そしてゴールへの嗅覚。フットサルコートの中を駆け抜ける森岡の姿は、まるで黄金に輝くライオンだ。幼少期を南米ペルーで過ごし、21歳でフットサルを始めたという異色の経歴を持つ彼が、フットサルに出会い、サラリーマンをしながらプロになるまでの葛藤を聞かせてくれた。

森岡 薫(もりおか かおる) / フットサルプレイヤー
1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

始まりはお遊びから。気軽な気持ちで始めたフットサルが人生を変えた。

まず、フットサルとの出会い、始めたきっかけを聞かせてもらえますか?

きっかけ…っていうほどのものはないですね。21歳の時に、ただダイエットというか「体動かしたいな、久しぶりにちょっと汗かきたいな」くらいの感じで始めました。

サッカーの経験はあったんですか?

もともと僕、ペルー出身なんです。ペルーではストリートサッカーが盛んなんですよ。ちゃんとした場所ではなくて、空地や道路でボールを蹴ってやるんです。とにかくみんなやってますね。日本で子供が自転車で遊びに行ったり、家の中でゲームやったりするのと同じです。ゲームとかそんなのないから、みんなとにかくボールを蹴る。毎日毎日、本当毎日。そんな環境だから、僕ももちろんそうで、物心ついてから来日するまで、ひたすらボールを蹴ってました。

ご両親は、街中でボールを蹴る森岡さんを見てどうお考えでしたか?

親はやっぱり止めますよね。実際、危ないんですよ。ストリートだから道路でやるんで車が通る。その度にみんなちょっと避けて、車が行ったと思ったら再開!みたいな感じでやる。おまけに道路には空き瓶とか割れた破片がいっぱい落ちてたりするんで、それでひざを切ってしまったりってこともよくありました。

他にも、誰も管理していない庭があって、その庭でもみんなでやるんだけど、ボールをぶつけすぎて庭の周りの壁に穴が空いちゃうんです。その空いた穴に有刺鉄線をはられて、そこに指が刺さって怪我したり。だから親は「やめてほしい」って言ってましたね。でも僕は、お母さんがスーパー行ってる間に抜けてボール蹴ったりしてましたね。やっぱ好きだったんで。

日本に来た当初、森岡さんは日本のサッカーをどう感じていましたか?

僕が日本に来たのは1991年で、Jリーグが始まる前だったんです。もちろん、サッカーは全然盛り上がってなくて、行った先の小学校にも中学校にもちゃんとしたサッカー部がなかったんですよ。だから、小学校ではバスケ部でした。その後1992年にJリーグが始まって、サッカーの盛り上がりがちょっと来た感じはあったんですけど、僕はその…やる気をなくしてしまったというわけじゃないですけど、どうしても違和感を感じてしまって。やってみても前みたいに真剣勝負じゃないというか…なんか、僕が思ってるサッカーとちょっと違うなって。

と言うのも、ペルーだと別に上手くなくても、とにかく勝ち負けの勝負なんですよ。勝ちに対する執着が全然違う。負けたら恥なんです。だから日本の部活で、みんながボールと一緒にわ〜って動いていくようなのを見て、なにが楽しいんだろうみたいな。もう、全然わかんなかったです。

で、中学校を卒業してから21までは、なんかモヤモヤした気持ちがあって、結構バカやってましたね。遊んでばっかりいた感じです。

そこからどういう風にフットサルに出会ったんですか?

ほんと、最初に言った感じで「久しぶりに汗かきたいな」ってなった時に「ボール蹴りたい」って思って。で、コンビニで立ち読みをしていたら雑誌のところにフットサル5人参加って小さく広告が載っていて。今で言う個サルって言うんですかね。確か火・木で、夜の7時から9時までの2時間。一人1500円を払ってゲームするってことで、そこに応募して。サラリーマンの方や女性の方だったり、いろんな人が集まってる所でフットサルと出会いました。

最初は遊びの気分だったんですか?

そう。本当お遊び。最初はフットサルシューズもないし、サッカーシューズでさえなくて、もう普通のスニーカーとかスリッポンで、普通のジャージにTシャツ着て。

でも、やってみたら汗をかいてめちゃめちゃ気持ちよかったんですよ。久々にボールを蹴って「楽しいな」って。それで帰りに次の回もその場で予約したんです。で、急いでスポーツ店に行って、ウエアを上下買い揃えて、サッカーの人工芝でやるようなシューズを買って、また蹴って…。

そうこうしている時に、フットサルのパイオニアみたいな人が体を動かすためにフットサルコートに来てたんですよ。その人が僕に声をかけてくれて。話していくと盛り上がって、「もしよかったらクラブチームで一緒にフットサルをやりませんか」っていう話になったんです。それで「じゃぁ、僕もちょっとやってみようかな」と関東フットサルリーグのクラブチームに入りました。

ストリートサッカーで培った「絶対に負けない」強い気持ち

小さい頃にストリートサッカーしていた名残りで、フットサルが上手だったんですか?

ボールをとられないために、相手に挟まれても体を入れ、キープしたりっていうのがストリートのおかげで割と身についてたのかなと思います。あと、フットサルではよく足の裏を使ってトラップしたりするんですよ。僕は子供の頃からよく足の裏を使ってたんですよね。だから、そういう部分もできてたのかなと思いますね。

あと、とにかくストリートサッカーって勝ち負けもそうですけど、ボールをとられることがものすごく屈辱なんですよね。とにかく1対1に負けないことが絶対大事なんです。遊びだけど遊びじゃないんです。だから、僕はそういう気持ちがずっと心にあったので、フットサルでも上手くプレーできたんだと思います。

当時はどのくらい練習していたんですか?

週4で夜の7時から9時までクラブチームに所属して練習してました。もちろん、クラブチームに所属しているといってもチームから給料が出ているわけではないので、平日は普通に仕事をして、土日に試合って感じです。チームメイトもほぼみんな働いてましたけど、土日は休みって人が多いからみんなは普通に試合に来れるんですよ。

でも、僕はその頃、不動産業界で働いてたんです。不動産って、仕事は土日がメインだから休めないんです。でも試合がある。だからまず出勤して、「営業に行って来ます」と言ってスーツを着て、持っているスーツケースの中にフットサルシューズを入れて出て行くんですよ。で、仕事じゃなくて試合会場に向かう。着替えて、試合をして、仕事してきたふりをしてオフィスに帰る。
これはいつかばれるなと。こんな風に嘘をついて、いろんなことで無理しても続けていけないなという思いが強くなってきました。だったら不動産を辞めて、日本でナンバー1のフットサル選手を目指して頑張ってみよう、プロになってみようと思ったんです。それが24歳の時ですね。

その後、収入はどうやりくりしたのでしょうか?

会社を辞めたので、アルバイトで子ども向けのサッカースクールのコーチを始めたんです。そのスクールが1時から6時半までだったんですよ。だから午前中は自分でトレーニングして鍛えたりできたんです。6時半以降はチームの練習に行ってました。

ただ月収は8万円。一人暮らしで8万円です。だから1日おにぎりで過ごしたときもありましたよ。「そんな食生活、スポーツ選手なんだからだめだろ。」っていう感じですけどね。とにかくどれだけ辛くても、頑張って、2年間だけはフットサル中心の生活をしようと思ってました。

そしたら、1年ちょっとで、名古屋オーシャンズからお話がきたんです。

名古屋オーシャンズに入団する事はすぐに決められたんですか?

当時はまだ名古屋オーシャンズの前身で、大洋薬品/BANFFってチームだったんですけど、「うちに来たらプロでやれるよ」って誘ってくれたんです。ちょうど日本初のプロチームとして発足したばかりのタイミングでした。

プロを目指していたんだから、飛びつくようなタイミングだったんでしょうけど、実は1回断ってるんです。自分の中に色々理由があったんですけど、今考えてみたら結局自分に自信がなかったんです。プロとして成功するっていう自信がなかったから逃げてたんですよね。

でも、そういう僕の気持ちを理解してくれていたのか、諦めないで何度も話を聞かせてくれて。そうやって話を聞くうちに、僕のことを評価してくれているということがわかりました。嬉しかったし、それ以上に生活にも困っていたので、このチームでプロとしてやらせてもらおう、プロの選手としてやっていこうと決心しました。

とは言え、結構悩みましたね。当時、フットサルは関東が一番盛り上がってて、関東が一番強いところなんですよ。その関東を離れて、名古屋に行くのか?って事も悩みましたし、色々な人の繋がりやコミュニティに育ててもらったって気持ちもあるし、当時のチームや関東リーグを出て行くのにけっこう覚悟がいりました。いろんな人に「結局ちょっと金もらえれば行くのか」みたいなことも言われましたし。

おまけにそのチームがプロでも、プロリーグがあるわけでもないし。

でも、僕は生活もあるし、名古屋に行って勝負してダメだったらすぐに辞めるぐらいの覚悟を持って行こうって。それが26歳の時です。

後編はこちら:リーグ9連覇翌日、突然の戦力外通告。逆境を力に変える不屈の精神
文:MOVE編集部

PROFILE

選手プロフィール
森岡 薫

森岡 薫

1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

選手公式SNSアカウント

PROFILE

選手プロフィール
森岡 薫

森岡 薫

1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

選手公式ウェブサイト https://global9.tokyo/kaoru-m... 選手公式SNSアカウント

PROFILE

選手プロフィール
森岡 薫

森岡 薫

1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

選手公式ウェブサイト https://global9.tokyo/kaoru-m... 選手公式SNSアカウント