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リーグ9連覇翌日、突然の戦力外通告。逆境を力に変える不屈の精神

MORIOKA KAORU リーグ9連覇翌日、突然の戦力外通告。逆境を力に変える不屈の精神
2017/ 09/15

リーグ9連覇翌日、突然の戦力外通告。逆境を力に変える不屈の精神

森岡 薫

リーグ9連覇翌日、突然の戦力外通告。逆境を力に変える不屈の精神

Fリーグきってのスター選手、森岡薫。南米ペルーでストリートサッカーに没頭した幼少期、来日し鬱憤を抱えた思春期を経て、偶然出会ったフットサルに愛された一人の男。26歳でプロ選手になり、彼が駆け上がったスター街道とそこから見た景色。突然の戦力外通告とそこからの再出発。天国と地獄の両方を知る男の心の声を聞かせてもらった。

前編はこちら:サラリーマンから日本代表へ!夢をつかんだ南米のストリート魂

森岡 薫(もりおか かおる) / フットサルプレイヤー
1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

他の誰とも違う道で、駆け上がったスター選手への階段

21歳でフットサルを始めて26歳でプロになって…って、普通のスポーツ選手とは絶対違いますね。

そうですね。例えばサッカー選手は強い学校かどっかのクラブチームに入って、いい大学行って、プロに行くっていうルートですよね。僕は急に21歳から始めたっていう部分では全然違いますね。

それだけでもすごいのに、その後もスター選手への階段を駆け上がった感じだと思いますが、ノってる時ってどんな感じなんですか?

僕、ゴール獲ることを得意としてやってるんですけど、ノッてる時ってどんなシュートでも入っちゃうんですよ。自信ある時はどんな時でもシュートを打てるし、それが入っちゃう。それがノッてるときの証拠ですね。
逆にノッていない時は、いつもなら打てるところで打てない。ここで入らなかったらどうしようって自信がない感じになりますね。

自信がなくなったり、不安を感じたりすると判断力が鈍るんですかね。

そうですね。鈍ります。やっぱり、自信があるといい判断ができるようになるんですよ。いい判断ができている時が調子がいい時で、そんな時は何をしてもいいんですよ。選択肢はいつも何通りかあると思うんですけど、それを必死に考えて判断するんじゃなくて、もうこれしかない!って自然に見えるんです。いろいろな選択肢の中でベストなものが当たり前に選べる。

試合でもトレーニングでもこなしていくと、その段階に来る時があるんですよ。その段階に来てる人のことを、一般的に「判断力がある選手」っていうんじゃないかな。
ただ、同じ選手でも「あれ?今までいい判断してたのにどうした?」みたいな時もあるんですよね。そこはやっぱりメンタルの部分も大きいですね。

プライベートでは何か気をつけたりしていましたか?

調子がいいときはプライベートで気を使うことはなかったかな。
唯一、気をつかったのは天狗にならないことですよね。勘違いをしないことにはめちゃめちゃ気を使ってたと思います。勘違いしてしまうと、向上心をなくしてしまうんで。自分はもうできるんだ。自分はもう何もしなくても大丈夫なんだっていう、勘違いが1番怖かったですね。自分は今頂点にいる、自分よりは上には誰もいないみたいな、そう考えることは別に悪いことではないんすけど、それを勘違いしてしまうと逆に痛い目にあっちゃうぞって。

自分が活躍してる実感が持てたのっていつくらいですか?

うーん…プロになってから、5年目かな。それまでも、チームのエースとしてやっているという自負はありましが、5年目に引退とか入団で人が動いたんですよ。そういう時期だったんで、5年目からこいつがいなきゃだめだっていう存在になったかな?やっと一人前になったかなという実感はありましたね。

まさかの戦力外通告

得点王になったり、最優秀選手に選ばれたり…スター選手になって、チームの優勝にも貢献した翌日、まさかの退団となるわけですが。

そうですね。退団、クビっすね。ありえないっすね。僕はそうさせるようなプレイしてなかったので。実際リーグの9連覇まで僕はコンスタントに結果を出してたわけですし、実際チームで1番点をとってたし、リーグ戦の決勝でも点とったし。僕は自分のことよりもチームを第1に考えてたので、そういう結果になってしまったことは、やっぱり当時は裏切られた気分になりました。

もし、僕が独り者だったら、まだ我慢できたかなと思うんですよね。でも、家族…子供3人いて、妻もいて、次の日から給料がゼロっていうことの焦りはすごかったです。

優勝して次の日に戦力外を受けたこともショックだったんですけど、家に帰って、ソファーに座っていたら家族が帰って来て、子供たちの顔を見た瞬間、我慢できなくて涙でました。

子供って笑ってるじゃないですか。今、何が起きてるか分からないもんだから、子供の顔を見ると笑ってるんですよ。それが1番辛かったですね。

そこからチームが決まるまではどんな感じだったんですか?

中国、タイ、カタールやベトナムだったりからオファーがあったんですね。でも、僕の中に2つ大きな想いがあって。一つは家族と離れたくないってこと。もう一つは名古屋の優勝を阻止したいってこと。この2つを絶対にやりとげたいって思いました。

そんな中でペスカドーラ町田が手を上げてくれて。
町田は名古屋みたいに大きなスポンサーがいてってチームじゃないですけど、地域と密着してて、スポンサーには、大きな企業もあれば中小企業までたくさんいて。みんながすごく応援してるチームだなと感じました。

それまで僕が名古屋からもらってた金額っていうのは、Fリーグでは破格だったと思うんです。スポンサーの支援が強い名古屋だからできたこと。でも、町田は僕を呼ぶために、そういう部分でもすごく頑張ってくれた。必死にお金も集めてくれたし、サポートするためにいろんな企業が手あげてくれて、それで僕は日本に残ることができた。ものすごく感謝しています。生活できたっていうのもあるし、家族と離れないっていう1つの目標は達成できたんで。あとは、絶対王者の名古屋の10連覇を阻止することを目標としてやるぞと思いました。

とにかく「森岡がクビになったのは仕方ないな」なんて絶対に思われたくなかった。ただ、町田に入団してシーズン前半は、故障で活躍できなくて。プロとしてきてるのに、活躍できないもどかしさがありました。
そして、試合に復帰し、チームも調子が上がってきて、セカンド・ラウンド進出が決まり、もうやるぞ!自分の価値を証明するんだ!って気持ちが大きかったですね。

そんな中で迎えたセカンド・ラウンドのプレーオフの名古屋との試合はどんな気持ちでしたか?

ここで名古屋戦に勝てば、自分たちはファイナル・ラウンドに進出できて名古屋の優勝を阻止できるという試合でした。この試合への気持ちは、もう僕だけにしか味わえない気持ちだと思いますね。説明できるような気持ちじゃなかったです。
試合が始まって、僕が先制して、3ー0で試合終了のブザーが聞こえた時、なんとも言えない思いでした。一緒にプレーしてきた選手たちの姿、負けている姿を、別のチームとして見ている。この日まで本当にいろいろなことがあったので、いろいろな気持ちがこみ上げてきて、試合直後は涙が溢れてしまいました。

これでもう一つの目標もクリアできましたけど、町田として優勝できなかったですし、まだまだこれで満足したわけじゃないです。
選手を続けていく以上は優勝を目指していくべきですし、自分自身ももっともっと高いところを目指していかなくてはいけないと思います。

「好きなことを仕事にする」のは、プロ以外にもあることを証明したい

並行して日本代表としても活躍されていますが、世界の舞台を見て日本との違いを感じる部分はありますか?

ものすごく感じるのは情熱の違いですね。フットサルっていうよりも勝負に対しての執着が違うと思います。やっぱり海外の選手のメンタルや取り組み方は学ぶところがあるなって感じます。言葉で言うとハングリー精神ってことですね。例えば、僕らだったら契約になるとお金を考えることってあるじゃないですか。少なかったら契約できないとか。

でも彼らは違う。彼らは、少なくてもお金をもらえるのは当たり前のことじゃないことをしっかりわかっている。だからそれにきちんと応えます。お金が少ないからこんぐらいのプレイでいいだろっていうのはない。今は少なくても、頑張れば上げてもらえるのかもしれない、上げてもらうんだ!って精神がある。僕は名古屋に10年間いて、いろんな外国人選手と生活して、それをすごく感じたし、学びましたね。

森岡さんのハングリー精神の一つが、現役でありながら会社も経営されているという部分にも現れているのかなと思うんですが

そうですね。まず僕らフットサル選手は、将来が保証されてないんですよね。怪我しちゃえばそれまでだし、クビになったらもう生活できない。僕はいろんな人を見てきましたけど、若い選手が生活できなくて引退しちゃうんですよ。この前なんか21歳の子が引退しちゃった。この世界は、自分が21で始めたのに21で辞める人もいる。そう考えれば、このままではよくないなという気がします。だからこの会社で儲けよう!いますぐ金を稼ぐぞ!っていうつもりじゃなくて、戦力外や怪我でプレイできなくなった選手を受け入れられる場所にしたいと考えています。

フットサルの未来を考えた時に、セカンドキャリアも大切ですよね。

そうなんです。僕が運営しているGlobal9っていう会社なんですけど、今は、フットサルが盛り上がってない地域、フットサルFリーグにチームが所属してない地域に行って、普及のためのイベントをやったりしています。他にもスクールを運営していて、元Fリーグの選手を、自分の経験や技術を子供たちに伝えるコーチとして雇用する。

僕が言うのもおかしいですけど、フットサルって、楽しいスポーツなんですよ。実際フットサルってサッカー人口より多いんですよ。今後はもっともっと盛り上がると思うし、いずれは選手をマネジメントするぐらい規模になればいいなと思って真剣に考えてますね。

この会社をつくってみたいなという発想はいつぐらいからあったんですか。

名古屋にいた頃ですね。僕は名古屋で給料は良かったですけど、生活を保障されることはなかった。だから生活を保障できるように会社を作りたいってGMにお願いしたところ、1度断られてるんですよ。本当のところはわからないですけど、この会社を作ったことが戦力外になった理由の一つってこともあると思っています。ただ、僕は選手を辞めてから何かアクション起こすんじゃなくて、選手をやりながら起こせるなら起こしたいなと思ってたんです。だから、しっかり承諾を得てつくった会社なんですね。

最後に今後の目標を聞かせてください

今後はまだ選手として41歳ぐらいまでやりたいです。
僕は始めるのが遅かったから、まだ自分の中では限界を感じてないし、若いつもりなんで。

会社としては関東だけじゃなくて、地方にもフランチャイズを出したり、スクールを広めたり、プレイヤーを育てる施設を持ちたいですね。フットサルやスポーツでいろいろ貢献したい。

フットサルっていうスポーツは僕の人生を変えてくれたんですよ。もう、全てを変えてくれたので、その恩返しとして僕が今度はフットサルを広めていきたいです。別にフットサルじゃなくてもサッカーでも、ボールが蹴れたらよかった中で、僕はフットサルに出会って人生が変わった。だから、僕はあえてフットサルにこだわって恩返ししっかりできたらなって、そう願っています。

26歳でプロのスポース選手になる。一般的に考えると、まず考えられない経歴の森岡選手。
才能があったから?フィジカルがあったから?もちろん、そういった要因がなかったわけではないだろうが、彼が圧倒的に持っていた力はそこではないような気がする。
スポーツの世界での成功は容易ではない。数多くの「才能のあるもの」が運命に飲み込まれ、消えていく。だからこそ、天国と地獄を行き来し、時にもがき苦しみ、その先にある栄光に手を伸ばす姿に、私たちは熱狂し、声援を送る。
ほんの気軽な気持ちで始めたというフットサル。そこから動き出した運命の中で、彼が自らの手で掴み取ったもの。彼の人生の中でその全てが咲き誇っていく様を、これからも見続けたい。
文:MOVE編集部

PROFILE

選手プロフィール
森岡 薫

森岡 薫

1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

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1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

選手公式ウェブサイト https://global9.tokyo/kaoru-m... 選手公式SNSアカウント

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1979年4月7日生まれ。日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。12歳のころ父親の仕事の都合で来日。 21歳の頃、目にした雑誌の個人フットサル参加(個サル)の広告を見たのをきっかけにフットサルを始める。Fリーグ ペスカドーラ町田に所属しポジションはピヴォ。Fリーグで最優秀選手賞4回、得点王4回受賞。Global9 代表取締役社長。

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