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観客が求める価値を提供したい!日本一のBMXライダーが語る半生と未来。

TAKAGI TOSHIO 観客が求める価値を提供したい!日本一のBMXライダーが語る半生と未来。
2017/ 09/08

観客が求める価値を提供したい!日本一のBMXライダーが語る半生と未来。

高木 聖雄

観客が求める価値を提供したい!日本一のBMXライダーが語る半生と未来。

海外修行やコンテストへの挑戦を経て2011年の日本チャンピオン獲得から勝ち続けること5連覇!!偉業を成し遂げた高木 聖雄選手の次なる目標は、2018年までに世界大会で1位を獲ること。BMXとの出会いから、成功までの経緯、高木聖雄という人間としての考え方、そして未来の展望を熱く語ってくれた。

前編はこちら:日本一を5回獲っても、飯が食えないから考える。

高木 聖雄(たかぎ としお)/ BMXフリースタイルパーク
14歳でBMXに出会い、ジャンプの魅力にはまり、17歳で日本のプロクラスに昇格。スポンサーを得て2010年より海外修行やコンテストの挑戦により2011年全日本コンテストにて日本チャンピオンになる。その後、4年連続で日本人チャンピオンを連覇。2014年にはアメリカのシリーズコンテストにて準優勝、プロクラス昇格を果たす。自分に現役期間にリミットを持ちひたすらに世界大会1位を目指し、精進するBMXパークライダー。日本の未来に貢献する為にも、海外の良い練習環境を作る事にも力をそそいでいる。

ジャンプ台が無ければ自分で作る!というDIYマインド。BMXに魅せられて練習に明け暮れた中学時代

BMXとは、どういうふうに出会ったんですか?

小学生の頃から自転車が大好きで、子供用のマウンテンバイクに乗っていたんです。当時から既に今やっているようなジャンプに近い技に挑戦して遊んでいたんですよ。中学2年生の頃、同じように自転車に乗って遊んでいたらフレームが真ん中で折れ曲がってしまって…。それで衝撃に強い自転車に買い換えようとした時に、地元の自転車屋でBMXを見つけました。それがBMXとの出会いです。

当時は練習場やジャンプ台も無かったので、廃材を組み合わせて自分で作っていましたね。場所が無ければ探しますし、無いものは作ります。それくらいで諦めません。自分は何かしら作ることが好きで、無いものは作るっていうDIY的な考え方なんです。

怖い感覚はなかったんですか?

「やりたい!やってみたい!」っていうのが先。めっちゃ怖いんですけど…。自分がはっきり覚えてるのは、中学校のグラウンドの端っこでバックフリップ(後ろ宙返り)っていう技に挑戦した時のことですね。この技はBMXのなかでも危険性が高いのでボーダーラインと言われている技なんです。それを高跳び用のマットと60cmのジャンプ台を改造して挑戦してみたんですよ。「これはイけるな」という感覚があったので、多分できると思いました。逆にここで悩んでたら一生できないと腹をくくって、その勢いで飛んだんです。そしたらできたんですよね、初めて。

17歳で日本のプロクラスに昇格!!

大会に出るようになったきっかけは?

高校生の時に、BMX業界が少しずつ見えてきました。愛知県の小牧市にBMXの練習場があることを知って通うようになってから、そこで出会った人達から大会の情報が入ってくるようになったんですね。それで大会に出てみようという流れになったんです。始めから大会で良い成績をとれたわけではなかったんですが、高校3年生でBMXのプロクラスに昇格して、それが17歳でした。

その頃に一番大きな影響を受けた人は、当時大学生だった先輩です。ほぼ毎日、その先輩に教えてもらっていました。すごいんですよ!本気というか。自分が免許を取るぐらいまで、ずっと毎日迎えに来てくれて一緒にBMXの練習をしてましたね。自分もすごいやる気満々だったんですけどね。

あとになって先輩から聞いたんですが「毎日、電話がかかってきて『練習行きますか?』っ誘われるのが嬉しかった」って(笑)自分はお世辞とかよく分かんないので「いつでも電話かけていいよ」って言われたらいつでも電話しちゃうんで、本当に毎日電話していました。自分はBMXに乗っている時が一番楽しいですね。

〈アクティブキッズフェスタにて/ Photo by Motoyoshi Yamanaka 〉

明確な成功のビジョンを持ち、目標にタイムリミットを決めて突き進む

17歳でプロになって、どういうふうにBMXと関わっていったんですか?

プロになって夢について考えるようなりました。「卒業する」とか「就職する」とか、そういうターニングポイントで人生の選択をしていくわけですよ。自分は就職する道を選んで2年間だけ就職したことがあるんです。でも結局、就職は違うと感じてしまって、「どうやったら自分は満足するんだろう?」ということを追求し始めたんですね。

「思いっきりBMXに乗りたいんじゃないか?」と思って、オーストラリアに住んでいた時期もありました。それでも満足いかなくて…。「技をたくさんやれば満足するんじゃねえかな?」と次から次へと技を習得してみても満足できなかったんです。「やっぱりこれは勝たなきゃ駄目だな!」と思ったのは 2011年で21歳でした。「日本一になりたい!世界一になりたい!」と決めたんです。なんとなくやるのは嫌なので、7年間かけて”2018年までに世界一を獲る”という目標にしました。BMX以外は全て二の次です。とにかく明確じゃないのが嫌なんですよ。

競技以外でも、他に何か考えたりすることってあるんですか?

高校生の時に自分が憧れていたBMX日本一のプロ選手達や、その先輩達が次々とBMXを辞めていく姿を見ていたんですね。各々が結婚や出産、就職だったりっていう理由があったんですが…。自分はそれがどうしても寂しくて仕方なかったんですよ。「BMXで飯は食えねえ」っていうのを聞いたり、みんなで言ってるのが悔しくて仕方なかった。夢が崩されるというか…。最後に金を稼げるか?っていうところに当たるんですよね。実際は稼げないからみんな辞めていくんです。けど自分はBMXを職業にしたいんです。

BMXを職業にするために、どんなことを意識されてるんですか?

僕は、なるべく自分のことをアピールするようにしてるんです。 以前海外に住んでいたんですが、向こうでは個性をアピールすることが大事なんですね。何かをやろうとしてる人間って、人並み以上のプライドを持っているんですよ。僕らみたいにスポーツをやっている人間は、特に強いと思うんです。それを出さないのはもったいなさすぎる。 僕の場合には、例えば自分っていう人間を商品にした場合にアピールするポイントは「5年連続日本チャンピオンで世界一を獲る」「日本では誰もできない技が出来る」とかですね。とにかく派手な技が多いので観客を引き込む力があると思っています。

あとはパーソナリティをすごく大事にしています。自分はキャラクターを売ってパフォーマンスで飯を食うべきだなって思ってるんです。例えば去年の春、東京の有明のイベントでショーをやった時、お笑い芸人オードリーの春日さんが5歳児達とレースする企画があったんですね。その時に自分は命がけでダブルバックフリップ(後ろ2回転)をやったんです。けど僕が命がけで2回転回ったパフォーマンスと、春日さんがちょっとジャンプしたパフォーマンス、どっち見たいか?っていったら、もちろん観客はオードリーの春日さんを見たいんですよ。

でも、僕個人としては「高木 聖雄のバックフリップが見たい」って思わせないと駄目だと思うんですね。だから、BMXショーをやる時には、子供達に「聖雄のT」と言って、手で”Tサイン”をやらせるんです。それをやることで「聖雄のTやりたいよね」「聖雄のTで写真を撮りたいよね」と観客に思ってもらえれば、それが付加価値だと思うんです。僕が死ぬ気で攻めたとか、そんなことはどうでも良いんです。

それで、“1040(イチゼロヨンゼロ)=としお”名前を推して”聖雄(1040)Tシャツ”を作ったんです。「聖雄がショーをやる時に着てるTシャツ、欲しいよね」「 聖雄Tシャツを着てBMXショーを見に行こうよ」というふうにしたい。

〈アクティブキッズフェスタにて / Photo by Motoyoshi Yamanaka 〉

日本のBMXのレベルアップを担うべく、練習環境の整備にも尽力している

BMXのスクールでは、どういうことを意識されているのでしょうか?

日々大事にしてることは、生徒さん達の考えに沿うことですね。単純に技術を教わりたいからスクールに通うという人もいれば、楽しくないと意味がないという人もいる。BMXの技術を教えることはもちろん大事ですけど、付加価値を考えた時に非日常の体験を提供したいって考えたんですよね。自分はそこをすごく大事にしています。

楽しそうだからやってみたいって気持ちで子供は来るんですよね。なのに僕が疲れた顔をして教えていて、それで上達したところで何の価値もない。やっぱり僕が元気いっぱいで子供達と楽しく遊ぶことが大事なんです。帰り際に「オモロかった!また行きたい!」と思ってもらうことが僕のスクールの価値。

今、スクールってすごく人気があるんですよ。元々、教えるのが好きですし、子供に受けそうなアイデアがたくさんあるので自分に合っていると思います。

練習環境の整備も自らされているんですか?

町からお借りした山奥の土地を練習場にしています。そこにジャンプ台を作りました。当時、日本に転んだ時に安全なBMXの練習場がなかったんです。なのでジャンプ台の下にスポンジとシートが敷いてあります。

元々その練習場は僕だけのものだったんですが、あまりにも人気が出てきてしまったので練習場として開放したんです。最近では新しいルールも設定されて盛り上がっていますよ。本当にありがたいですね。

〈アクティブキッズフェスタにて/ Photo by Motoyoshi Yamanaka 〉

常に理想を見出し追い求めていく高木選手の生き方。それこそが“追うものは追われるものに勝る”の言葉の如く人生に勝ち続けていく秘訣だろう。
輝かしい経歴を持ちつつもオーディエンスの求める価値を提供したいと語る謙虚さは実業家としての資質をも兼ね備えた成功者の共通点といえる。
「BMXでは飯は食えない」という常識を打ち破る彼の挑戦は、確実に現状を変えている。と、同時に日本のBMXシーンのレベルアップにも貢献している。彼がBMXスクールで育てた子供達が栄光を掴む日も、そう遠くないだろう。

PROFILE

選手プロフィール
高木 聖雄

高木 聖雄

14歳でBMXに出会い、ジャンプの魅力にはまり、17歳で日本のプロクラスに昇格。スポンサーを得て2010年より海外修行やコンテストの挑戦により2011年全日本コンテストにて日本チャンピオンになる。その後、4年連続で日本人チャンピオンを連覇。2014年にはアメリカのシリーズコンテストにて準優勝、プロクラス昇格を果たす。自分に現役期間にリミットを持ちひたすらに世界大会1位を目指し、精進するBMXパークライダー。日本の未来に貢献する為にも、海外の良い練習環境を作る事にも力をそそいでいる。

獲得タイトル
2011年より4年連続パーク日本チャンピオンを獲得
2015年 世界大会カナダ「TorontoX JAM」決勝進出14位
2015年 アメリカシリーズコンテスト「TransJam」ジャンプ部門プロ優勝1位
選手公式ウェブサイト http://sa53.noor.jp/takagi/ 選手公式SNSアカウント

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PROFILE

選手プロフィール
高木 聖雄

高木 聖雄

14歳でBMXに出会い、ジャンプの魅力にはまり、17歳で日本のプロクラスに昇格。スポンサーを得て2010年より海外修行やコンテストの挑戦により2011年全日本コンテストにて日本チャンピオンになる。その後、4年連続で日本人チャンピオンを連覇。2014年にはアメリカのシリーズコンテストにて準優勝、プロクラス昇格を果たす。自分に現役期間にリミットを持ちひたすらに世界大会1位を目指し、精進するBMXパークライダー。日本の未来に貢献する為にも、海外の良い練習環境を作る事にも力をそそいでいる。

獲得タイトル
2011年より4年連続パーク日本チャンピオンを獲得
2015年 世界大会カナダ「TorontoX JAM」決勝進出14位
2015年 アメリカシリーズコンテスト「TransJam」ジャンプ部門プロ優勝1位
選手公式ウェブサイト http://sa53.noor.jp/takagi/ 選手公式SNSアカウント

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高木 聖雄

高木 聖雄

14歳でBMXに出会い、ジャンプの魅力にはまり、17歳で日本のプロクラスに昇格。スポンサーを得て2010年より海外修行やコンテストの挑戦により2011年全日本コンテストにて日本チャンピオンになる。その後、4年連続で日本人チャンピオンを連覇。2014年にはアメリカのシリーズコンテストにて準優勝、プロクラス昇格を果たす。自分に現役期間にリミットを持ちひたすらに世界大会1位を目指し、精進するBMXパークライダー。日本の未来に貢献する為にも、海外の良い練習環境を作る事にも力をそそいでいる。

獲得タイトル
2011年より4年連続パーク日本チャンピオンを獲得
2015年 世界大会カナダ「TorontoX JAM」決勝進出14位
2015年 アメリカシリーズコンテスト「TransJam」ジャンプ部門プロ優勝1位
選手公式ウェブサイト http://sa53.noor.jp/takagi/ 選手公式SNSアカウント